徹夜で見えてくる何かもあるかも。
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50224832.html
本当に出来る人は、自己満足を求めないで結果だけ求めます。テストに出ない英単語を1日5時間かけて覚えるより、本当に出る2000語だけを1日1時間で覚えたほうが効率がいい、とわかっている人です。
徹夜をする→自己満足→何も進んでないけどなんかしたような気になる→よくない(非効率的である)、という論旨のようだ。
なんかしっくり来ないので考えてみた。
例えば、必死になって徹夜して頑張ることによって、自信がつく、という効果が抜けているように思う。「俺はこれだけやったのだ、だから大丈夫」という自信が状況を切り開くことだってある。
単純作業とそうではない作業を混同している、という問題もあるのではないかと思う。確かに「作業」になっているものは効率化を図る方がいいと思う。100の効果を得られる作業が1の力でできるのと、10の力でできるのなら、1の力の方がいいに決まっている。残りの9で色々できるから。
が、作業ではないものはそんなに簡単に割り切れない気がする。徹夜の果てにひらめいた解決法が朝の1時間で出てくる保証なんて無いわけで。延々考え続けることで得られる結果ってのもあるのではないかと思う。
という考えが導かれ、元の文を再度読み直した結果
これは徹夜に限らず、通常の勉強や仕事でも同じことが言える気がします。つまり、実はみんな効果を上げたいのではなく、がんばっているという自己満足が欲しいだけなのかもしれません。
どうやら、ここに心が引っかかっていた模様。通常の勉強や仕事という全体に対して適用しようとしていた所が気になったのではないかと。で、引っ掛かりを認識した上で再度確認。
その時は冷静に「今やっていることは無駄なことが多いのではないか」と分析をしたほうがいいかもしれません。
なるほど、全く同意。メタな視点で自分をコントロールすることで、自分のパフォーマンスを引き上げる、という事だな。
で、その上でなら、徹夜という手法を選択するのもありではないかと思う。やった気分を味わう目的ではなく、十分な結果が得るという目的ならば、だけど。つか、やらねばならない時、ってのは確実に存在しているわけで。