あんにんにっき。

日々思ったことや、おこったことを記録するブログ。要するに日記。

私刑の行われる社会は幸せな社会か

 まず、概要から。
 当て逃げ事件の動画が、動画共有サイトに公開
 加害車両のナンバーから、所有者の個人情報が割り出され、ネットに流出。つーか、晒される。
 所有者の勤務先に抗議の電話等。
 会社は加害車両所有者の男性を懲戒解雇処分に。
 という流れ。気になって色々とブログでの意見とか見て回っていたところ、 Apes! Not Monkeys! というブログに、上記に関するエントリ リンチと化す“祭り” があるのを見つけたので読んでみた。
 この記事のコメント欄は、賛成意見やら反対意見が殺到し、いわゆる炎上と言われる状態になっている。それだけ関心が高い、という事だろうか。
 私も記事を読んで色々と考えてみた。
 日本は(いちおう)法治国家である。だから、法律による手続きのなされない今回の流れは私刑以外のなにものでも無いだろう*1、この私刑は当然と受け止められているようにも見える*2
 はて、この流れは加速していくのだろうか。それが通常となった日本というのは遠くない未来の会社は負けるんじゃないだろうか))。
 さて今回の事件、私刑は行われた(結果的に、だけど)。私刑の結果が懲戒解雇、ってのはかなり高い効果だったので事なのだろうか。
 それが通常となった世界は、どのような世界なのだろう。
 全く根拠は無いが、次のように考える。隣人達からの私刑をうけないため、周りの視線に気を配り続ける。人と違ったことはしない、目立たない。当然、犯罪行為などするべくもない。結果、周辺の目という監視の目を気にしなくてはならないものの、犯罪はなくなり平和な社会が到来。
 だけども、それは同時に、自由に自分の意見を表明する事のできない社会でもあるだろう。なぜなら、現時点では言論の自由は「法によって」認められている。故に「法治国家である日本」では法の根拠の下、言論の自由が実在する。
 ところが「法律によらず」行われる「私刑」が存在すると、言論の自由などというお題目は意味が無くなる。明確なルールが存在しない中、言って良いことと悪いことを判断する必要が出てくる。そしてそれは言論の自由なんてものじゃない。
 まあ、一番の問題は、法治国家であるはずの日本が、違法と思われる行為に対して比較的無力であるという点につきると思うのだけども。
 ちなみに、私の理想は、法が厳格に適用される管理社会だったりする。立ち小便するやつも、たばこのポイ捨てする奴も、イヌの糞を始末しない奴も、ほんのちょっとだけスピード違反する奴も、等しく罰せられ、犯罪など起こるべくもない、っつーディストピアの到来を希求する。

*1:正直、法的根拠も無いのに、懲戒解雇ってのは行き過ぎのように思う。解雇処分を巡って訴訟とか起こされたら、は無いだろうか。  エントリのコメント欄を見る範囲においては((ものすごくバイアスのかかった世界だけど

*2:はてなブックマーク等では、私刑はよろしくない&法治国家としてのあるべき対応について理性的なコメントの方が多いように見える