牛肉偽装問題は、中の人の認知的不協和
牛肉偽装問題について興味深い見解を読んだ。
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2点の見解が提示されており、要約すると、
・価格を下げる圧力に過剰対応の結果
・利益を最大化するぎりぎりのラインを追求した結果、一線を越えた。
二つめの方の見解が非常に興味深い。認知的不協和という心理学的用語があるが、その状態に陥っていたのではないか、と思わされる。
要するに、偽装は悪いことだけど、消費者は安い物を求めているのだから仕方ない。消費者の求める値段で提供するには偽装をするしかない。むしろ、偽装こそ消費者の望んでいる物、口に出して言わないだけ。そういう心理状態になっていたのではないだろうか。
だとすると、こういう事件がいつまでも繰り返されるのはある意味必然とさえいえる。たとえ中の人が悪いと認識していたとしても、だから改善しなくてはならない、という意欲が出てこないのだから。
価格低下の圧力がもう少し緩ければ、何とかがんばろうという意欲も出てくる可能性はあるのかもしれないが。基本的に人間にしても組織にしても、堕落する方向の方がより進みやすい。堕落したとしても、認知的不協和が自分が傷つかない理由を作ってくれる。大丈夫。
もはやこうなったら我々も、本当に安全な食事なんてあり得ないのだから仕方ない、食べたからと言って直ぐに死んだりするわけではない、我々が悪いんじゃなくて偽装をしている会社だけが悪い、という認知的不協和の世界に逃げ込むしかないですね。安全な食事を追い求めたり、社会を変えるなんて方向に動いたりする必要ないですよ?